会社を辞める前にすべきだった5つのこと
これは私自身の失敗談です。私は大学卒業後に「あるメーカー」に入社し、地方の生産拠点で働いていましたが、この会社は数年で退職することになりました。今回は、その時の失敗・後悔を、「辞める前にすべきだった5つのこと」という観点で、昔を思い出しながら徒然なるままに書いていこうと思います。
1.ビジネスの基礎力をもっと鍛えておくべきだった
私にとっての最初の会社は、あまり忙しくない環境でした。季節による繁閑はありましたが残業はほとんどなく、さらには勤務中も待ち時間も多く、ゆったりとした職場でした。そんな中、目の前の仕事をするのに必要なことは覚えましたが、それ以外のスキルアップや勉強等のビジネス上の足腰を鍛えることはほとんどしていませんでした。これは転職後、基礎力不足として最も苦しんだことの1つです。
今思うと色んなことがもっと学べたと後悔しています。業界の専門家は隣にいましたし、その会社にはEラーニーングの仕組みもありました。更にはその拠点には、生産だけでなく物流や購買や経理等の機能もありましたので、業務オペレーションに直接触れる機会もありました。
ただ当時は「目の前の仕事さえやっていれば」という気持ちで、自分の担当範囲から外には出ようとはしませんでした。オフの時間の充実が命でした。
2.後進を育てる仕組みを作るべきだった
その生産拠点はあまり自動化されておらず、人が設定する条件のちょっとした違いで歩留まりや品質が大きく変化していました。もう完全に匠の世界。機械の僅かな異音で不具合も分かりましたし、原料を見るだけで成分の察しがつくような世界でした。
ただ、この職人技は、各人が自分の技として持っていただけで、新人はゼロから身につけなければいけません。私は入社当初からこんな職人の世界に疑問は持っていたものの、結局その会社の「昔からのやり方」を踏襲してしまいました。自分の技を伝承できず、聞かれても「こんな感じ」としか言えず…、後進を育てる仕組みを作ることができませんでした。
3. 世代を超えた人間関係を築いておくべきだった
年の近い同僚とは、非常に仲良くさせてもらっていました。昼はスポーツやドライブに、夜は歓楽街に毎日のように繰り出していました。その時の遊び仲間とは今でも繋がっているのはありがたいことです。
ただその一方で、その拠点にいた20も40も離れた先輩方との交流はありませんでした。横目で見ていた先輩の趣味は、ゴルフに釣りに野球。当時の私には全く興味がないものばかり。あのとき、あの輪に入っていたら、仕事観や見えた世界が違っていたかもしれません。
4. 企業の理屈・理論にもう少し触れるべきだった
当時は生産の立場だったので、日々接する他部門は営業でした。小売や卸向けの製品を作っていたわけですが、営業がいう無茶振りとの戦いでした。「お客さんが言ってる」という魔法の言葉といかに戦うか、典型的な製販間の調整がそこにはありました。今となっては、製販調整のリアルな姿を見ることができたことは財産です。
一方、在籍期間がそこまで長くないこともあり、研究開発や本社、更にはサプライヤといった関係者とのやりとりは実体験がありません。ここは、目線を上げて、他部門の考え方・理論にもう一歩踏み込んでおくべきでした。今、経営に関する仕事をしていると、様々な部門の理論や理屈が出てきます。そうした時、実体験があるのと想像で語るのでは、その差は雲泥の差です。
5. 結局何も残せなかった(利益創出にもっと貢献すべきだった)
私の退職後、その拠点はリストラの中で閉鎖となってしまいました。同僚含めて皆、別の拠点に散り散りです。実は私がいた当時から、その拠点は赤字で閉鎖候補となっており、なんとか食い止めるべく、皆で改善活動を進めていました。私自身も様々な改善活動を通じて、工場の原価低減に努めていましたが、結局閉鎖となってしまいましたので…、残念ながら何も残せなかったことになります。
その会社の経営という観点では、「生産拠点を残すこと」自体には何の意味もないので、存続するからGOOD、なくなったからBADではありません。単純に私の感情的な問題です。ただ、この前偶然、その拠点があった場所を通りましたが、綺麗に空き地になっている様子を見て…、無性に寂しくなったので、最後に追加しました。
※このメーカーを退職後、対極にあるようなハードな業界に転職しました。この新天地での驚きは、また別のお話にて。
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